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井戸とラクダ|旅の鼓動から広がる波紋と孤独の先に見えるもの

みなさん、こんばんは!TABIPPOの恩田 倫孝(みちのり)です。

旅大学を主に運営をしてます。メンバーの中で、一番おちゃらけているかと思います。ただ、文字を書く時は、もの凄い孤独な気分の底から言葉を選ぶので、この文章から受ける印象と随分違うかと思います。旅中は青いはっぴを着ていて、空を眺めながら自分のブログを月1回、1万文字を超える写真が殆ど使われない記事を更新しておりました。どれだけスクロールしても終わらぬ記事を書いていた結果、読者は大体5名位でした。

でも、僕は挫けず頑張ります。いいんです。僕にとって文字を書くという行為は、自分の表現のためで、何かの感情をどこかへアースするようなものだと思っております。ただ、読んでくれた5名に感謝を込めて、これからも書きたいと思います。初めましての方が多いと思います。これから、どうぞ宜しくお願いします。WEBの記事は、皆さんの顔が見えない事が寂しいですよね。皆さんが、僕の顔が見えない事も一緒か。僕の鼻はニンニクに似ているそうです。

自由の中で彷徨うラクダ

さて、このTABIPPOの記事ですが、なんでも自由に書いていいと言われているのですが、このように何でもいいと言われるのが、一番難しい。いつもは、制約が何かしらあって、その中で書く。そして、制約になんだかんだ文句を言いながら、自分らしらが出せない。等と言いたがる。制約は僕らに言い訳を与えてくれる。僕らは、いつだって「自由」を追い求めるんですが、突然に完全な自由を突きつけられると、何をしていいのか分からなくなって、立ち止まってしまう。イイワケも出来なくなる。

それは、目を覚ましたら、急に砂漠の真ん中に放り出されたラクダのようだ。今での光の無い世界から突如に与えられる全ての色が混ざった白い景色。そして、360度広がる砂漠に急に放り出されて見える景色は、どこか恐怖を孕んでいる。どこに行ってもいい。そして、進んだ先に何があるのか分からない。そんな事なら、一箇所で静かにしていた方が良かったのではないか、等一度後向きへ思考を投げる。これは、旅を始める前の感覚とどこか似ている。

そんな状況で、僕らはどこに歩きだすのか?さて、そんな砂漠に佇むラクダが最初に取り上げるテーマは、旅の鼓動から広がる波紋。波紋は静かに、ゆっくり湖を超えて、様々な波となって広がるのです。僕の小さな雫の落下から、誰かに音を届けるのかもしれないし、僕もまた誰かの音と聞いているのかもしれない。

自由に歩き出したラクダが見てきたもの

自由に歩きだしたラクダが最初に見るのは、何なのだろうか?普段、都会の便利の中で暮らしているラクダは、最初「不都合」を目の当たりにする。不都合と一口に言っても、技術的な事も、時間のルールも、人の信用も色々とある。そして、その不便さにある種の快楽を覚える。それは、自分の知ってる世界との違いを知る事である。ただ、その擦れ、違和感を覚えながら、そのざらっとした感覚が自分の中へと食い込み、自分が生きている感触を味わさせてくれる。

自分が生きている実感は、何かの差異の間で感じるのだと思う。それは、他者と自分の違いを認識する事かもしれない。他人が作った家の中に入り込む事が楽しくなって来るのだ。砂漠が色付いて見えてくる。

突然現れる最初の砂漠

ラクダは、目が慣れて、この非日常にも慣れて来る。新しい家に入る事にも全て慣れてくる。せっかく色付いて見えた砂漠が、また一色に戻る。この景色は、最初に歩きだした時にも見た。結局、旅とはその繰り返しであり、どこかでメビウスのそれから抜け出ねばイケないのだと砂漠は僕らに告げてくれるのだ。

続く。

文責:恩田 倫孝(おんだ みちのり)